ギャラリー

江原素六像 

f10号 油彩

女性像

f20号油彩

f6号油彩

(テレビ鑑定団in富士宮の画面にでたことがあります)

展示場

生涯学習センター展示会 2017・3

生涯学習センター展示会

H.Oさんです。

学習センター展示会 2016

2016

教室

2017  学習センター美術室

2017  あれ?Je ne fais que manger?

(Let's not only eat good kids,let's also do painter play.) 

Si tu manges tout le temps, tu vas grossir! 

quel! ge n'ai pas besoin de soins supplémentaires.

 

2017

2017

マルサン教室

三島のスケッチ会現場 2017

この写真をそのまま描くことはダメです。この時の湿度65%が描き込めません。中景の小山(北条氏の出城山城)の歴史的存在感も描き込めません。小山と愛鷹山の間の住民の生活を感じさせられません。何よりも前景のこの木に触れてその硬さ・ざらざら感・香り等をわが身に反応させなければ、上っ面だけのまがい物になります。中景のこちら側の細い木との距離がこの写真ではわかりませんが実際肉眼で見ると10メートル位なのがはっきりわかります。写真は構図は取れますが如何に頼りないものであるかということがわかります。つまり、写真と同じ一眼の、柳生十兵衛や丹下左膳の剣先は敵に届かないということです。

 

向井潤吉先生の忍野村からの眺め

 

現場でしか描かない向井先生

 

Turkish Woman by a Stream     1907

Watercolour.     35.6×60.8cm

Victoria &Albert Museum, London

 

John Singer Sargent

 

A Young Salmon Fisher

1901     oil on canvas. 71.8×56.5cm

The Fine Art Society, London.

This lively sketch is a reminder of the many paintings of Alpine torrents that Sargent made during holidays with friends. Though there is no record of Sargent being a keen fisherman. he liked to watch others fishing and bathing lndeed, throughout his life he was more a spectator than a participant,his mind constantly occupied with the scenes before him and thoughts of how he could paint them. This was probably painted in Norway when Sargent was on a holiday with his friend, George McCulloch,a wealthy Australian farmer.

 

John Singer Sargent

 

John Singer Sargent

 

佐間田敏夫先生作  花と富士山

 

 

佐間田敏夫先生

 

 

 

中川一政先生の作品     

 

中川一政画伯ですが、これでなければ絵を描いたことになりません。空気も水も全てが生きています。勿論適当に崩してはいけません。

 

中川一政先生の作品

 

箱根の山上にて駒ヶ岳を描く所。戦いです。この勢いがないと絵に魂が入りません。

アマチュアは恥を知っらなければいけません。

 

 

 

 

Henk Helmantel  

勢い描きのあとは、超写実です。最高峰の写実静物画のようですが、実物を確認していないのでコメントはしません。実物に感じられる芸術性がそれを撮影すると、感じられない事があります。

 

 

Chardin  Flowerpiece:Carnations,Tuberoses and Sweet Peas

1760-3.Oil on canvas,44×36cm.National Gallery of Scotland, Edinburgh

世界最高峰の静物画家の絵です。Henk Helmantel画伯の絵は世界的の評価がどうなっているのかわかりませんが、テクニックは最高のようです。こちらは評価が定まっています。花瓶の描きなおしの線が気になりますが、それ以上にはち切れんばかりに見る人に迫ってくる存在感がそれを打ち消しています。パーフェクトの物は芸術では無いような気がしますがこの大らかさがあってはじめて高峰への道ができるかもしれません。以前盆栽を研究していた時、国風展で最高賞を取るのはパーフェクトではなく、不必要な枝でもこれを切らないと受賞を逃すなと思っても敢えて残す作者の愛情と心意気を感じられるものであると聞いた事があります。上手に描くことではなく、作家の愛情と品格が漂い出ることが良い絵の条件の一つでしょう。

 

 

モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール作  シャルダン像 1760年

良識と分別に富む。と言われた、シャルダンの内面を感じさせるようです。

シャルダンが描けば鍋一つにもこの心が内包されているような感じがします。

 

 

 

アリ・シェフェール(1795-1858) フリデリク・ショパンの肖像

 

私もショパンを弾かせてもらうこともあるので、この本物の肖像が静岡市美術館にきているので挨拶に行ってきました。

個人的にはショパンの絵の中ではこの絵が一番真を現しているように感じます。

これはショパンが亡くなる二年前に描かれたそうです。

これを描いてもらうために、彼は何度も何度もシェフェールのところへ通ったようです。

画家自身はショパンの肖像を、素描、絵の具で描きこれより大きな本作をショパンに渡したようですが、そちらは、後年焼失と言われています。。この絵は画家の手元にあったもののようですが。多分その焼失した作品のほうが完成度も更に良かったような気がします。残念です。

ドラクロワのものも見ましたが全然気に入りませんでした。

2020・9・16

 

 

アリ・シェフェール   31歳の自画像 1826  260×200mm  油彩 カンバス

 

上のショパンの肖像とは違う流麗な描き方です。営業用でないとこんな感じです。

勿論これを発展させてこのニュアンスで仕上げることもできます。

乾いていない絵の具をこすって1826と書いたようです。

 

 

 

フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター (1805-1873)  ショパンの肖像

585×490mm  油彩・カンバス

 

殆ど見たことのない像です。ヴィンターハルターが描いていたとは知りませんでした。

 ただ、実物の絵は右側の空間(背面)がすごく気になりました。

 

タデウシュ・ウォビェンスキ(1898~1983)作  ショパンの手

こちらを入れたのは、美術館で事件が起きましたので。(いや大した事ではないですが。)

私がこの手と自分の手を並べて比べてみたら大きさも形もそっくり。感慨に浸っていたら、

突然横にいた御婦人が話しかけてきました。「ちょっとあなたの手をみせて!」「比べてみましょう。」と手のひらをべたっとくっつけられてしまいました。(このコロナ禍べちょべちょです。私の手はさらさら。そう私は女の人に襲われて体をべちょべちょにされても全然平気なほうですので気になりません。)「どう!私のほうが大きいでしょう!!」そのご婦人は小柄なのに手はでかい。勝ち誇った様ですが、それはどうなんでしょうか?子供の頃聞いた話を思い出しました。でかい手のことを馬糞ずかみといいます。

馬糞を掴むと手が大きくなるのか、片手で馬糞を掴める大きさなのか、どちらでしょうか?

きっとその方は、子供の頃馬のうんこを掴んで遊んでいたかもしれません。昔は、道路の真ん中は馬糞が積み重なり歩けませんでした。「それを踏むと背が伸びるから気をつけろ。」とよく言われました。背がうんと伸びると半鐘泥棒になる(梯子を上らなくても、半鐘を盗める。)と困るので、私は馬糞には近づきませんでした。私とその御婦人が大話をするので、学芸員が何事かと近づいてきました。何か不穏な感じなので、私はすぐ退散しましたが、入れ替わりに警備員が飛び込んできました。あのご婦人は大丈夫なのか少し心配になりました。

因みに、カラヤンは手が小さいのでピアニストをあきらめたそうです。個人的には私は、滑らかで正確で上手な演奏よりも、手の大きな体格の良い人のダイナミックな演奏の方が多少粗くても好きです。(あのう。さっき全然平気って言っちゃいましたが、21年度はあまりにも激しく〇ラ〇たので全然平気じゃなかったです。血もたくさん出て、マニアックな攻めできつかったですが、私はほんの少しでも、私を愛してくれる人を命に代えても裏切りません。親に対してもそうでした。その方も心配しなくて大丈夫です。私の最後の願いは心の底からの私の愛を受けてくれる人が欲しいです。「なにか言いましたか?えっ!私がMかって?」。「そうです!大体Mが合いますが、シャツはSがピッッタリです。それがどうかしましたか?」。)

 

 

 

 

アシル・ドゥヴェリア(1800~1857)作  アンリ・エルツの肖像 リトグラフ

ショパンの親友。ピアニスト。

 

 

 

C'est une image très dangereuse. Ll est inutile de voir cette imaage.

Et efface de ta mémoire que tu as vu ca.

Cette femme semble avoir été Iâme pour    me voler mon corps faire tout mien. Lhistoire est si terrible qu'elle me peut pas êtrs écrite tout de suite.

L'un des méfaits de cette femme était qu'elle a cassé la vitre de la porte d'entrée et a fait sortir sa mére et m'a enlevée quand j'étais absent.

Ge I'ai envoyé à la police, mais il semble que je sors avec un eranien et que j'utilise des stimulanys.

J'ai oublié de dire que cette femme est aussi professeur de piano.

Et cette robe coûle 140000 yens.

 Une autre chose que jai apprise de cotte femme était que si elle léchait ma nuque fort et la suçait, je ne pouvais pas résister du tout.

 Cette femme m'a menacé d'effacer le pteuve qu'elle était dans cet atelier,

peut-étre parce qu'elle savait qu'elle faisait quelque chose de mal.

J'aime les gens,

alors jai découpé la toile avec cette femme à le P120 avec un couteau Etpour une raison quelconque. Le reste est ce f30

Ll y avait une grosse torsion sur cette femme. Et cela m'a aidé à sortir de la crise. Ll semble que cette femme voulait prende mon corps et tout faire sien, mais parce que mon corps est si réactif, elle a mal compris que sa technique était trés bonne pour elle-méme.  Alors je me suis commandé avec une attitude confiante.  Mais je ne suis pas vraiment la propriété de la femme.

Le grand rebondissement s'est produit aprés cela.   Comme d'habitude,j'attaque violemment,mais la technique est indécise.  En d'autres termes, vous ne pouvez pas las le laisser aller jusqu'au bout.  Je savais déjà que cette femme n'était pas douée pour ça.   Vous ne pouvez pas m'occuper.  Ll semble que cette femme l'ait aussi remarqué à la fin.   Cela m'a aidé.

 

f30 peinture à L’huile