肖像画を描くための写真

肖像画を描くために写真を使う事について。「写真には似るが本人には似ないことが有る」といわれています。 それは何のことかと言えば両者は本質的に違う物だということです。

つまり人間の目は二眼で相手の顔を見たときは相当輪郭の向こう側まで回り込んで見えているのに対してレンズは単眼であり目に比べ鈍角であることおまけに1m位近くに寄って写した場合完全に歪んでしまいます。 それを似ているというのは観念や思い込みによるものでしょう。 それを防ぐ為にはポートレート用のレンズで3m以上離れて撮影します。 また、 本人に似ている写真を似てないと言うことがあります。 男の場合も髭を剃る時相当鏡に近づいて剃ります。 女性の化粧も同じです。 アップで見るということは広角で見る様に膨らんでみえます。 なので他人が写してくれた写真は「えっこれが自分?違うんじゃないの?」と、自分自身が認識している画像と本当の姿には大分ズレがある事があります。 だから本人の意向を尊重すると違う像になるかもしれません。芸能人などは、正しく認識していると思います。

光線も非常に大事で正面ストロボでは薄っぺらくなります。 できれば斜め上と正面の光線を調節して使います。(シャドウ部も必要ならレフ板) 素人の場合は昼間の日陰が完全ではないが やや良いかもしれません。(免許証の写真は光線も悪く味もなく全く似ていません。但し写真屋さんに撮ってもらったもので、斜め上方の光線を使い顔の等高線が認識でき、被写体とレンズの距離が十分あるものを使用したものは、使えることがあります。)

 

 [W先輩は財閥のS氏を描かせて戴いたそうですが、

S氏は本当の文化人ですので、 写真からは絶対に描かせなかったとのことです。]このことは大変大事な事ですので肖像画の注文の前に是非本当に良い物ルーベンスやベラスケス、レンブラントを見て頂けたらと思います。(それから、S氏は画家に最大限の能力を発揮させるために、毎日のように何回にもわたるRolls-Royceでの送迎、心からのもてなし、素晴らしい接待をされた様です。もちろん芸術にも造詣が大変深いでしょう。芸術家は良い意味で心が燃えなければ良い作品はできません。Vlaminck曰く「絵は、本能に従って情熱で描くもの」。一般人や俗物は芸術家の能力を殺してしまう事がありますが、一流の文化人はその能力を発掘し、育て、持てる力を引きだす術を知っています。敬服いたします。私もその作品を見せていただきましたが、素晴らしい出来栄えです。感じたことは、画家だけの力もあったかもしれませんが、注文主の力も増幅されて内在している様です。丁度、レオナルドダビンチにおけるミラノ公・ルドヴィーコ・スフォルツァ、コジモ・デ・メジチ。ティツィアーノのにおける神聖ローマ皇帝カール5世。ベラスケスにおけるフェリペ4世。ベートーヴェンにおけるワルトシュタイン男爵、カール・フォン・リヒノフスキー侯爵、ルドルフ大公。ワグナーにおけるルートヴィヒ2世。Franz Xinterhalter  に対するバーデン大公ルートヴィヒ1世。Raffaello Santi  に対するローマ教皇ユリウス2世・レオ10世。

形は変わりますが、ピカソに対するカーンワイラー。そのような次元の高い人物が昔は多く存在したようです。今の日本人は何故かミーハー化して、小ぶりな人間が多く、教養・精神性の欠如・テレビ等マスコミのマイナスの悪しき存在すなわち最近のテレビは総体、俗物の喜ぶ作りになっています。また個人主義礼賛、ドラッカーの言う個人主義とニュアンスが異なるかもしれませんが、等、自分の要求の事しか考えない、そして言えない塵の様な輩が増えた事は日本の行く末が思いやられます。また良い作品が生まれにくくもなっています。) 三人の中で誰がおすすめかと聞かれましたら迷わず Diego Velazues と答えます。 なぜかといえば目に見えないものを描いているからです。(しかし、彼もどれもがうまくいっているわけではないようですが) デッサン力に優れていれば、 また色彩感覚があれば 、綺麗で素晴らしい作品ができます。 しかしそれは上辺だけのもの、 最も大切なものが抜けています。 形而上的なもの無形なもの、

モデルになった人の精神・心・人間性が表現されているかという事です。 それができているのは巨匠の中にも何人もいません。 描かれた人の人間性がありありと現れているのが良い肖像画ということになります。(はたしてレンブラントはどうでしょう?)

 

ヴァン・ダイクの描いたマーガレット・レモンの肖像です。59.5*49.5cmの彼の作品としては小さめですが展覧会会場で最も強い印象を受けました。2mを超す大作の中であたりを睥睨する存在感がありました。画像では、あまりわかりませんが、現物は一種異様な存在感を有しています。どうもヴァン・ダイクはこの絵に魂を入れてしまったようです。 マーガレットは画家が美しい貴婦人を描いていると大変に怒って画家の指を食いちぎって(筆を持てないように)しまおうとしたそうです。その心を完全に描ききっている様です。他の作品の様に味付けや美化やお体裁などが無く本当に素晴らしい作品です。彼は本当は力があったのですが営業用には少しセーブしていたようです。(もちろんベラスケスも注文主に迎合した作品を多々残していますが。)S氏について加筆するなら、画家一人だけではなく何人も画風を選んで描かせたようです。絵は生き物ですので、大名人でも常にパーフェクトの子を生み出すわけではありません。体調や精神状態、偶然性など様々な要素によって影響され生まれてくるものなので、何作品の中の何パーセントをよしとする気持ちが必要です。

ルノワールなども素晴らしい作品と全くダメなものがある様ですが、レンブラントなどはその落差がさらに大きいようです。(本人の筆でなくとも材料の同一なことなどで間違ってレンブラント作と認定されていることもあるかもしれませんが。)

製作日数

製作には画のサイズ・種類・技法・要望などによって完成するまでの日数が変わってきます。

 通常技法で、理想的には、一か月前後出来るなら二か月以内に完成させたいと思います。

 ただ、細密技法・超細密技法      

・古典的技法・ほか特殊技法はそれ以上かかることがあります。 その反対に「明後日法事ですので間に合わせてください」との注文にも原則対応できます。

それから完成度を上げる為には製作途中に2~3回見て頂いてアドバイス等もらえると

良いと思います。 ある名刹の御住持ですがヨーロッパでしょうか超一流の作家に依頼したそうですがその出来栄はとても気に入るものではなかったそうです。 それでこちらへこられて描かせて頂きましたが本当に喜んで頂けました。 どんなに大名人でも能力を発揮できないことがあります 。名人に力を出させるのも出させないのも注文主の気持ちが影響します。ヴァン・ダイクも常に安打を打ってはいない様です。嗚呼、これを描くのは気が乗らなかったんだなと感じさせる作品もいくつか確認できます。どんな作家でもだれでも同じだと思います。

 

また、お写真から描いたものは安価に設定させて頂いています。実物からの場合は美術品ですので、また、描画条件状態等で少し割増になります。

 画像送信について

出来てきた作品の画像を途中でご覧になりたいときは写してお送りしますが、スマートフォンなど携帯の容量の小さいものには届きませんので、設定を大きくしていただくと良いと思います。小さめの端末は2MBが初期設定になっているようですが、こちらのPCは最少値・圧縮が4.85位のようですので届きません。小型端末の最大値10Mまでできるそうですので、そちらの設定もお願いいたします。(ピクチャーサイズ最少の640*480でも届かない事があります。小型端末の情報累積過多でオーバーフローもある様です。削除等。)郵送でも一度程度はお送りいたしますが、現物と撮影したものとはだいぶ差異があります。色彩等はインク・機材・メーカーなどにより違います。マチエールは光線をいくつか変えてみても最終的には推測になります。最高の美術全集の写真が実物の絵画とは、似て非なるものであることは、よく経験します。できれば、注文した作品をみて、制作途中の確認ができるところで制作を依頼されるのが最良と思われます。

 

参考画像集

Rembrandt van Rijn   Portrait of Nikolaes Ruts   50号位でしょうか。

「こんなに請求書がきちゃったよ!」 (joke,joke)

Typ de tekst die u wenst te vertalen. (Dutch)

 レンブラント光線ですが、影の部分に、カポックかフィルライトを

少しだけ入れたい気もします。                     

Rembrandt van Rijn    Portrait of Maria Trip   1639   107×82cm

営業用にきっちり描いているようです。光線は女性用にいつもよりナチュラルでしょうか。

Rijksmuseum Amsterdam

 

Self-portrait,        Rembrandt (1606~1669)    86×70.5cm London,National Gallery

Cet autoportrait a été réalisé I’année de sa mort,après la mort de Hendrickje et du fils

de Rembrandt,Titus.Une sorte D'humilite inspirée par son sentiment de dépendance envers les étres fidèles semble s'être mêlée ici à la conscience de son rang artistique

exceptionnel. Peut-être estce ainsi qu'il faut interpréter le lien existant entre I'assurance intérieure et I'absence de refuge avec lesquelles Rembrandt regarde I'observateur.Ilse voit ici comme quelqu'un qui a appris à vivre avec son<ombre>,qui necède pas au besoin de se représenter en tant que<personnalitéharmonieuse>.

Des radiographies montrent les traces d'un appui-main et d'un pinceau,de meme que celle d'un turban élevé,mais Rem-brandt a abandonne tous ces elements au cours de son travail,et s'est contente du geste des mains jointes.Outre d'autres autoportraits tardifs,qui presentent un caractère frontal representatif ou unc ouverture laterale en éventail entre le regard vers I'observateur et la rotation vers la toile ou vers le livre,le lien singulier de demi-detournement et de concentration pleine d'attente se fait manifeste,renforcé par la pénombre à droite.L'effet élémentaire est en outre renforce par la tonalité réduite,mais très raffinée et tout à fait insaissable.

 

 

Diego Velazuquez の El Papa Inocencio X です。説明の必要のないものと思われます。

明らかに何が描かれているかわかります。今のレベルの低い日本人の男ならこのように描かれたら、受け取りを拒否するでしょう。本当にレベルの高い人間のみの理解できる画家とモデルの真剣勝負の様です。けして褒められることのない行いが過去あったかもしれません。でも本当の男なら自分の真の心と姿を、醜くかろうが汚かろうが全身全霊で認識することをいとわないでしょう。 今の日本は悪くでも偉大な人がいなくなってしまいました。

それとは次元が違いますが、アメリカでは企業の戦略としての肖像もあるようです。

 尚、筆法・筆触・他は事前のご相談をお受けします。(次画像他もご参照)

Palazzo Doria Pampily Rome Italy (Navona/Pantheon/Campo de'Fiori)

(上の写真は右側の色彩がとんでいます。)実物より立派に良い感じに魅力的に描いても死んだあと、価値のないものになります。はらわたの中身を表さなければいけません。もっとソフトに言うならば、その人の本質が表現されなければ、どんなに上っ面の綺麗ごとを並べても意味がありません。(難しいことですが。) 

Louis Tocque     Portrait De Jean-Louis Lemoyne, sculpteur

こちらは、人物画ではなく、肖像です。行為を表していますが、個人の特定に重きをおかれています。このように、その人の職業を描き加えるのもあります。

ご相談ください。                           Les Peintur Du Louvre

Hans Holbein サー・トマス・モアの肖像 1527年

名作、本物は確認していませんが、モアの人間性を描ききっているようです。

今の利己的な小物ばかりになった日本に存在してほしい最も必要な人格でしょうか。

(一般家庭に飾るには impact が強すぎる描き方かもしれません)

Henry Thomes Schafer   牧師ウィリアム・グレイ 余計な味付けなど無くシンプルで正味のみ表す男性肖像の一つの形でしょう。

 

Balthasar Denner    Alte Frau  1720年頃

素晴らしいテクニックですが、画家はどうもこの皺に魅了されてしまったようです。

細密画も過ぎるとどうでしょうか。それから、どうもこちらの方の内面が感じられない様ですが、案の定、やっぱり、下に書かれているとおりです。

Dieses Bild einer alten Frau ist kein Porträt, sondern ein Studienkopf, in dem der Maler eine unbekannte Alte darstellte. Das Bemerkenswerte daran ist die unglaublich genaue malerische Durchführung. Während die Details des Gesichts, Fältchen, winzige Runzeln und Flecken mit äußerster Schärfe und Präzision wiedergegeben sind, wird der glänzende Stoff des Kopftuchs, der weiche Pelz des Kopfyuchs, der weiche Pelz des  Kragens mit differenzierender Oberflächengestaltung dargestellt.

 そういう訳ですが、この作品は、神聖ローマ皇帝カール六世に大変な高額で購入してもらったそうですが、その技量は筆舌に尽くしがたいものでしょう。 darüberhinaus entstanden zahllose Kopen, ein Beweis für die Berühmtheit des Bildes zu seiner Zeit,die in Verlauf des 18.Jahrhunderts rasch schwinden sollte.

以上ですが、sensibillität や、metaphzsisch部分を含まない純粋なSuperrealismusはこの様な結果となるのでしょうか?研究課題になりそうです。  (この項では、はっきり書くと微妙な差し障りがでるかもしれないので、「解る人さえわかれば良い」と、明確な論理と結論をやめて、ドイツ語の中に、そのことを包含させてもらいました。)

 

Leinwand, 37×31.5cm Proveninz: 1721 von Kaiser Karl VI. erworben

Kunsthistorisches Museum, Gemäldegalerie, Inv. Nr. 675

 

 

古典的な画像ですが、とてもよく輪郭が処理されています。どの本にも書かれていない様感じることですが、重ねて言いますが、人間の目は、二眼ありたとえば右目で見た相手の向かって左側の頬は左目で見た位置より少し前方にあります。そして、外側に位置すると思います。左目で見た輪郭はその位置より1~2センチ回り込んでみています。

つまり理論上は輪郭は二本あるはずです。それが一本に見えるのは多分大脳の修正機能が働いているのでしょう。写真で見るのは一本です。なので、それを描くと何か変な感じがします。

この年代は相当のぼかしが入ります。後年はその幅が減少します。私はこの時代も好みです。

Paul Emile Chabas  と思われます。 軽快な筆致で正確無比に描かれている様です。

無駄なタッチは一切なく相当の熟練を要すると思います。しかし、一旦相当の技量を手に入れたとしても間が空くと筆力の衰えはあります。(ピカソの長年抽象画ばかり描いていた後の純粋デッサンは酷いものです。例えば、抽象化される前の下ごしらえの為の基礎鉛筆デッサンのPortrait Daniel Henry Kanweiler など確認ずみ。)私は前掲のも、こちらも好きです。

Raffaello Santi  La Velata  1514年

この画像が私の絵の出発点です。

言わずと知れた Jean Auguste Dominiqe Ingres です。  PORTRAIT DE RA COMTESSE

 D'HAUSSONVILLE   1845 , Raffaello が好きで絵を始めましたが、流れをくむIngresも好みです。これも、私の最も好きな

筆法の一つで、チャンスがあったらと、思います。輪郭の gradation は amber の細いものです。二か所の大きな deformer があります。唯、こちらについては、確認していませんが、他の作品では、初期罅割については、師である Jacquea Louis Daviet

と同じような所に出ているのは興味深いです。施主がたとえ、修正を頼んだとしても、仕上げに近い段階では、怖いです。The Frick Collection, New York

Jean Auguste Dominique Ingres   ブロイ公妃

Ingres の描いた最後の肖像画のようです。  Robert Lehman Collection

Madame Lethière and Her Daughter Letizia;        ca.1815

Jean Auguste Dominique Ingres         French, 1780-1865

 

鉛筆による簡易肖像。これはかんたんに出来てしまいますので、コンテ画と違いお安くお求めいただけると思います。

 

 

John Singer Sargent 先ほどのIngresとは全く異にする筆法です。流麗な一筆一筆の筆触が生きた細胞の様に迫ってくるようです。多くの人が挑戦していても流麗なタッチでは、Sargent を凌駕している作品を知りません。この品格は画家の内面であり、人間的に深みのない者が真似しても唯その人のいやらしさが表出してしまいます。(どうだ!上手いだろう。という気持ちが入ったものが、よくあります。)「万巻の書を読みて千里の道を行く、もって画祖となす」深い教養と高貴な人格がなければ、本当に良いものはできないのでしょう。(他の分野、例えば彫金家の清水南山(東京美術学校絵画科より彫金科に編入 1875~1948) は一、古典を読んで人間としての基礎をつくること。二、一流の画材を使うこと。三、最初の十年は絵でかせがないこと。などと言われていたようです。名ピアニストJean Marc Luisada氏は「良い演奏をするためには、教養を身につけよう」といわれていました。彼は、その師の教えをよく守り大変な実力をつけたようです。Ingres 然り、すべての一流の人はその様です。一人の師匠に死ぬまでついていく。それから師を簡単に変える人がいますが、必ず最低の人間です。将棋の内藤九段が「私が今まで会った名人・トップクラスのタイトル保持者は、一様にとても素直な人だった。」と言われていたのを、思い出しました。また、日本の古くからの言葉に、「入、破、離」という大切な教えがあります。一旦その門に入ったらその師の教えをすべてわが物にする。そのあと、他者にはつかず我が一流を起こす、師を遥かに凌ぐ最高の自分をつくる、それが、師に対する恩返しであるようです。「青は藍より出でて藍より青し」Carolus  Duranも本当に嬉しかったことでしょう。でも、どんなに良い先生についても、その生徒さんに感受性がなければ、無駄な結果に終わることが多くなります。。何故なら先生は最高の師であっても、、生徒さんのアートの口火に過ぎない、その人の内奥から湧き出てくるアートの最初の導火線であるようです。そういう意味では、それが現象であっても、人であっても、閃きであっても、その役を果たせればそれでその人の芸術の水先案内人の価値があると感じます。それでも、生徒さんに、真心をもった誠実さがあれば難なく達成できるものと思います。才能ではなく、求める人の真摯な心、これは、カルチャーセンターの受ける知識ではなく自ら会得していく、踏み込んでいく戦いのようです。確かドラッカーも、「大事な事は、才能ではなく、真摯な態度である」と言っていたようです。また羽生善治三冠は、「才能とは努力を継続する力」と言われています。そして、その師 Emile Auguste Carolus  Duran  も素晴らしいです。Duran の作品は、確か国立西洋美術館にあったと思います。

(彼女の夫の愛に、あるものが答え画家の筆を動かした気配が感じます。)

Sargent   Lady Agnew of Lochnaw   1893  124.5×99.7cm  National Gallery of Scotland,

Edinburgh,

John Singer Sargent   Miss Mathilde Tounsend  152.7×101.6cm

                                       The National Gallery of art.Washington

John Singer Sargent          Elizabeth Winthrop Chanler(Mrs John Jay Chapman) 1893

125×102.9cm   National Museum of American Art, Smithsonian Institution, Washigton, D.C 

Elizabeth Winthrop was the second waife of John Jay Chapman who was a distingushed essayist and critic He came from awealthy New York family which had the famous American revolutionary, John Jay, among its decendants. Elizabeth was the kind of highly intelligent woman of character Sargent most liked to paint and no doubt this striking portrait does her full justice. Sargent painted this portrait in his Tite Street

staudio during one of her visits to London.    Edmund Swinglehurst

John Singer Sargent         Mrs Joshua Montgomery Sears  1899   47.6×96.5cm

Museum of Fine Arts, Houston, Texas.  

This White silk-clad figure holding a bunch of roses and emerging from a myserious dark background has the conventional appearance of an old master,a style which appealed to the affluent art-buying bourgeoisis of the turrn of the century.Sargent’s ability to transform rather ordinary people into glamorous celebrities was one of his attractions as a portraitist,especially for those needing to establish their identity in a society in which they were to be thought well placed.The price of a Sargent painting did not come cheap,however,for the fee was around £1.000 a picture at the time. Edmund Swinglehurst

John Singer Sargent          self-portrait                       1856-1925

Sargentが描いたその師  Duran像です。   マサチューセッツ州クラーク美術館

こちらは、良い感じに出来ておりますが、他の多くの男性像は男っぽさが緩い様な気がします。傾向としては、女性は素晴らしい存在感を表しています。もしかして、Sargent先生は、男を描くのが気が乗らなかったかもしれません。私の知っている人も男を描くと全部女顔になってしまう人がいました。。凄い名人でも、そういう性癖が割とあるかもしれません。

 

 

Carolus Duran            La dame au gant

フランスの古い画像よりの転写ですので、多少解像度が落ちているようです。

Carolus Duran

Franz Xinterhalter    Maria Alexandrovna 彼は、ビクトリア女王お気に入りの画家。ハーフトーンのバックを生かしたデリケートなものです。モデルの協力が必要です。

更に、日数が必要になります。画家の力は手を見ればわかると言われるように、具現された作品のようです。写真にはない、物凄い存在感です。8kをもってしても、この絵の軍門に下るでしょう。Gosudar stvennyi  Ermitazh,

Sargent のLady Agnew は1893年頃心を病んでいたようです。Mana Alexandrovna は悲しみの通奏低音に浸る状態に至るようですが、二人に対して天からの愛でる何かが絵をとうして私には感じるような気がします

クリムトのオーソドックスに描いていた頃の作品。肖像というより芸術的人物画に移行したい雰囲気を感じられる様です。

 

We are looking for someone to wear this dress and become a modl.

 

   The size of this dress is No.9 .

 

これは、私の自画像です。(嘘、嘘!) Parmigianino  SELF-PORTRAIT IN A CONVEX
MIRROR 1524年 だそうです。肖像ではなく、画家自身の自画像です。凸面鏡で所謂写メ的なものでしょうか。右手に見えるのが左手でしょう。教皇クレメンスⅦ世へと贈った作品。

経年罅などうかがえないのは、基底材の膨張収縮率が顔料・つなぎ材のそれと近いからかもしれません。

Kunsthistorisches Museum, Wien

Parmigianino     Portrait of a woman    1531年頃 67×53cm

                Galleria Nazionale,Parma

 

Peter Lely  ロムニー伯ヘンリー・シドニー 1650年頃

人物画ではなく、肖像です。アルカディアの羊飼いに扮し美しく恒久性をもたせています。

                         デ・リル子爵コレクション

Anthony Van Dyck  

この絵は多分実物より美人に描いているような感じがします。それが出来るのは施主かモデルを画家が気に入っている場合のみと思います。「この女、やなやつだ」とか金を出す人間がアーティストに不快な感じを与えた場合などは絶対できませんし、実力を一部分しか発揮できないかもしれません。Van Dyck のそんな作品を見たことがあるような気がします。絵画にかかわらずアーティストは感受性が強く、デリケートです。私の知っている画家さんも箸が転んでも怒る人がいます。そういう意味では、注文主は態度に気を付けなければなりません。

二流のアーティストは心が狭く怒りっぽい人がいます。一流は立派な人も多いようです。

Ant Van Dyck   メアリー・ルースヴァン 1640年頃

晩年の1年間を共に過ごした、画家の奥さんです。  なんの衒いもなく、テクニックも放下して、真心のみで描いたものでしょうか。ただ、来るべき悲しみの時(画家自身の死)を内包しているかのようです。 恐ろしい死の影が画面に隠れているように感じます。             ミュンヘン アルテ・ピナコテーク

Thomas Couture     Portrait De Madame Poullain-Dumesnil    1842  187×127cm

夫人が亡くなる少し前にこちらを描きはじめ、亡くなったときにはまだ出来上がらなかったそうです。Michelet氏曰く、「苦悩や衰弱の中にも美は存在する。彼女の瞳はラファエロが描く瞳のようだ。画家にとっては数か月前の彼女より、いまのほうが美しいだろう」。1842年2月21日。

Anton von Maron    第四代ブリストル公爵夫人Portrait der Elisabeth Hervey,   1778

憂愁の魅惑を画家が表し、教養ある人格がそれを認めた深い境地のようです。

76×59.5cm 

Die Portritierte,Elisabeth Davers(+1800),seit 1752 verheiratet mit dem berühmten Lordbishop of Deny,Frederick Hervey,4th Ead ofBristol(1730-1803),lehnt sitzend an einem Podest-inder vor allem in der englischen portraitkunst des 18.Jahrhunderts häufig für Intellekuelle und für Frauen gebräuchichen Kontemplationshaltung,auch Haltung der Melancholie(vgi.vor allem Portraits von Sir Joshua Reynolds:RProchno,J.R.,Weinheim 1990,S56ff.). Ihr Mann,obwohl anglikanischer Bischof einer der reichsten irischen Diözesen,war ein ferventer Unterstutzer der katholischnationalistischen irischen Sache.Diese zumindest ungewöhnliche Kumbination von Ami und Haltung,die ihn beim englischen(anglikanischen!) König in Miℬkredit brachte,machte es ihm umso leichter,seinen unkonventionellen künstlerisehen Neigungen in Italien nachzugehen,wohin er mindestens achtmal reiste.Erwar in der internationalen Gesellschaft Roms einer der wichtigsten und zugleich geschmacklich unorthodoxesten Mäzene,jedoch durch sein exzentrisches Benehmen seiner Umgebung und den Künstlem gegenüber auch gefurchet.1778 malte Pompeo Batoni,der bedeutendste Portraitist in der zweien Hälfte des Jahrunderts in Rom,ein ungewöhnliches Bildnis des Lordbishops.1778/79wurde Anton von Maron mit dem Portrait seiner Frau beauftagt,das in einer 1779datierten groℬen Fassung,heute in einer Privatsammlung in Indianapolis,USA,erhalten ist.Das Wiener Bild ist die intime Erstfassung dieser Portraitaufnahme. Die unerfreulichen Umstände,in denen sich Elisabeth Hervey an der Seite des exzentrischen Gatten befand und die in der mehr melancholischen as nachdenklichen Pose reflektiert scheinen,mögen Zitate aus Briefen der Elisabeth Hervey dokumentieren,in denen sie 1778 an ihre Töchter schreibt,sie sei ❝fast schon zu einem Skelett wie Voltaire❞abgemagert,❝dünner als je und verschrumpelt  we ein Winterapfel❞,sie wurde schon wieder zunehmen,wenn nicht die haufigen Launen und das Benehmen das Vaters (der Töchter)ihre Nerven angriffen.Sie schreibt,man sage,der Lordbishop habe sie als❝majestatische Ruine❞bezeichnet,ein Zustand,an dem nur er schuld sei.Mag sein,daℬ Maron seinem Modell schmeicheln wollte,sei es,daℬ die Arme ihren Zustand den Kindern in den schwärzesten Farben schildern wollte,jedenfalls stellt er uns eine zwaroffensichtlich❝belastete❞,aber doch attraktive Frau in ihren späten Dreiℬigern vor Augen,attraktiv yor allem durch den für Maron typischen Schmelz der haut,der Augen,die wie feucht erscheinen,und durch die Zartheit der Pastelltöne in der Gewandung.                                

 lit:Unpublizirrt

Zu Maron:St.Röttgen,❝Antonius de Maron facibat Romae❞。Zum Werk Anton von Marons in Rom,In:Ausst.Kat.Österreische Künstler und Rom vom Baruck zur Sezession,Rom-Wien1972,S.35ff.,162ff.Zu Lord Hervey und seiner Frau:B.Ford,The Earl-Bishop.An eccentric and Capricious Patron of the Arts,Apollo99,1972,S.426ff.,bes.427;B.Fothergill,The Mitred Earl.An Eighteenth-Century Eccentric,London 1974                                           W.P.                                                                                           

文中に、私の敬愛するVoltaireのことが書かれているので、その内、彼のことも書いてみましょう。Fast schon zu einem Skelett wie Voltaire な彫像が某所で見つかりました。生徒さんの為にもぜひにと思いますが、高価ですのでどうなるかわかりません。この1500年から1700年代素敵な人が輩出されていますが、私好みにMichel Eyquem de Montaigne 1533~1592   , René Descartes 1596~1650 ,Johann Heinrich Pestalozzi 1746~1827 ,  特に、Jean-Jacques Rousseau 1712~1778 ,の著作は好みで、子供の比、本の背表紙の文字が擦り切れて見えなくなるほど読みました。また、面白い哲学を展開する Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling 1775~1854,は、ヘーゲルやヘルダーリンと神学校の寮が同部屋だったそうですが、彼が描かれた油彩の肖像画は筆触を残したものと、従来形とがあります。前者は、Sargent wie Fliessfähigkeit ではなく、Deutsche Kriegslibe が多少感じられるかもしれません。彼らの肖像画は素晴らしいものが残っている様で、彼らこそ肖像画に描くべき、描かれるべき人たちですのでぜひ鑑賞されたらと思います。

 

Georg Wilhalm Friedrich Hegel 像

私は人にお酒を飲ませてもらって、一升以上になると体の動きは悪くなりますが、頭が冴えわたってきて、人としゃべるのが嫌になり、無性にヘーゲルの著作を読みたくなります。

(美食を忌避する方なので、旨酒を求めることはありません。光圀公が書かれた『声色飲食其の美なるを好まず』と心を同じくします。立派な食事を目にすると、飢えている子供たちの姿が脳裏に浮かびます。なので、グルメ番組は死んでも見ません。付け加えると梅里先生こと光圀公は聞いた話によると日本で最初にラーメンを作って食べたそうです。)

 

Arthur Schopenhauer 

 

Thomas Gainsborough  ウィリアム・ハレットとエリザベス。スティーヴン像

二人肖像、238×179cmですが、日本家屋に置くには、100号以下50号位でも素敵なものができます。二人肖像は同一の方向性をもった光線が絵に統一感をもたらせますが、写真撮影や動画撮影によく用いられる、右の被写体には左(前方・または後方)左の被写体には右(前方・または後方)からの光を組み合わせる前クロスライティング、奥クロスライティングは主光源を別に作りクロスライティングは補助として弱めに使えば、微妙なニュアンスを与えるかもしれません。それを使用する場合はあててみてからの判断と調節が必要かもしれません。(F120号まで場所があれば対応します。)                          ロンドン ナショナル・ギャラリー

                      

J Reynulds   エリザベス・モントゴメリー像

233.5×289.5cmのサイズの部分ですが、彼女の結婚の祝いに姉妹3人で三美神の物語的テーマで描かれたもの。このように、物語的、歴史的、テーマの登場人物として描くこともできます。            ロンドン テイト・ギャラリー

Leonarudo de Vinci    ANNUNCIAQIONE の部分  1472~1475 板に油彩とテンペラ 98×217cm

肖像ではありませんが、私の好みとして入れてみました。モデルはいたのか、想像なのか、右目と左目が共通の頭蓋骨を有していないように感じるので多分レオナルドの好きなタイプの創造かもしれません。この漂い出る人間性は画家のものかもしれません。少し踏み込んで考察するならば、右目と左目はマリアに神性を与えるための彼のテクニックの一つの様にも感じます。当時の人は現代人(科学的能力には優れているが)の様に単細胞的脳みそではなく、優れた一面もある様です。それについて、ファン・アイクでも説明します。Galleria degli Uffizi 

Jan van Eyck   アルノルフィーニ夫妻像 1434  82×60cm

この部屋は六畳間位でしょうか?今の描き手ならそのまま描くでしょうが、その狭さを感じさせない工夫があります。東京芸大 佐藤一郎教授はこの作品には複数(3点)の消失点の存在を指摘しています。知らないでやったわけではなく、計算内でしょう。

レオナルドダヴィンチに戻りますが、神性を表すテクニックはあるかもしれませんが、それだけではなく彼自身の天より授かった力があるとしてもその神性と感じるものが本物なのかこの世の幻影なのかは定かではないような気がします。

National Gallery London

 

 

Sir Henry Raeburn    Captain Patric Miller    1789  167.2×132.8cm

軍服等がおそらく昇進によって描きかえられているようです。(別料金?)

                            The National Gallery of art, Washington

Jean Francois Millet      Portrait D’un officier de marine  1845   81.5×65.5cm

J, F,Milletの肖像画です。1849年にバルビゾンに移るまえの仕事のようです。顔は既にたっぷりのマチエールで十分の熟達を示し魅力的です。

 

D D Velasquez      オリバーレス伯騎馬像  1635年頃  313×239cm 

高等馬術Courbette、 ですが、伯爵がこの技をできたかは知りません。なんか人の乗らない馬の絵がもう一枚あるそうで、事前に描かれていたこちらの馬の絵を伯爵が選んだかもしれません。冷酷な殿様らしいですが、演技している俳優のようでもあります。ダヴィッドのアルプスを越えるナポレオンの乗馬姿も嘘だそうです。                     マドリード プラド美術館

 

Diego Velazquez      el principe Baltasar Carlos A Caballo   1635年頃 209×173cm

何となく馬が不自然のようですが、上掲の Courbetteは馬が何秒間か静止してくれるので十分クロッキーができますが、こちらは、苦労していたかもしれません。                          Museo del Prado, Madrid

ジャック・ルイ・ダヴィッド   ナポレオン騎馬像  1801  272×232cm

これは嘘だそうです。 顔も整形しすぎ?

Raffaello Sanzio      Ritatto di Baldassar Castiglione   1515    82×67cm

モナリザが盗難にあった時、この絵が代わりに掛けられたとのことで、ルーブル美術館では、同格とみているようです。鉄壁の存在感ですが、一説にあまり本人に似てないとか。

マントヴァからオランダそしてフランス王室からルーブル美術館へ。ルーベンスも模写。

            

 

This beautiful person is not an actress.   

Ceramics drawing

It is very difficult and troublesome.  Even in Europe, it is now difficult

to build advanced works.

It is 37.5×25.5cm and it is a large size as a ceramic plate painting.

The strong point

The color doesn't also change for hundreds of years.

Weakness

They're weak in an impact.  There is hardly a painter who mastered.

                               Collection in our office

 

Elizabeth Gunning ,Duchess of Hamilton   (エリザベス・ハミルトン女男爵)

Pastels on blue paper  23 1/4×17 1/4(59.1×43.8)

 

渡辺崋山作   国宝、高見泉石像 115.4×57.3cm 絹本着色 1837年

外国ものが多いので、日本の名作もいれてみました。西洋画法も入っているとのことです。

これも素晴らしいですが、日本画のw先輩も勝るとも劣らない作品を描けると思います。

 

渡辺光徳先生作   日本画

お写真等は一切使用されておりません。ご本人から直接描かせていただいたそうです。

1840年ごろ写真機が出来たそうですがそれ以前の絵は実際の人物から描かれています。このページにも入れてありますが、その存在感は写真から描いたものとは次元が全く違います。

写真から描けば労せず、細密に、ある意味合理的かもしれませんが、どんなに綺麗に上手に、できていても、どこか薄っぺらく、心を揺す振られることはありません。多少デッサンに長けていれば誰にでも描けます。しかし本物の作品を描くには画家に本当の才能が必要です。こちらの作品を見させて頂いた時、強く感じました。

 凄い迫力の中に素晴らしい品格が内包されている様です。

勿論、渡辺先生は大変な品格の持ち主です。私の最も敬愛する方です。

(ヒットラーに勝ったチャーチルが自分の肖像画を至近距離から画家に直接描かせている動画がテレビで放送されました。その画家は大人しそうな繊細な人で、自信なさげの様でしたが、チャーチルに見せながら描いている作品は、実在感の強い大変立派な出来映えに見えました。この自信なさげの重要性は後で解説します。)

 

和田英作  福沢諭吉肖像  1920年

一万円札にも描かれた諭吉が気に入っていた57歳ごろの写真が元だそうです。

とてもしっかりと描けるようですが。生きた人間の実在感はやや削がれるようです。

皮膚感とか、左目(向かって右)が下がり気味であるとか、写真から読み解く情報の解読は

相当根気がいります。(舎利頭が微妙に歪んでいるような気がします)和田英作ほどの名人ならば、どんなに実物を前にして描きたかった事でしょうか。                    慶応義塾幼稚舎蔵

和田英作   妹チマの肖像   1895年   個人蔵

荒いタッチですが、上掲の福沢さんに比べて生気にあふれています。これが、写真描きと本物の違いです。(これが写真からだと言われたら私の立つ瀬がありません)

岡田三郎助    大熊侯夫人像  1909年 91.5×60.6cm  早稲田大学蔵

30号位が一番扱いやすく、日本の家屋にも対応できるかもしれません。

ひび割れ

Jean Auguste Dominique INGRES   Roger delivrant Angelique

の部分ですが、この罅は経年罅ではなく、初期ひび割れ(50年以内にできるもの)の可能性が

あると思います。技法上の影響かもしれませんが、仕上げ前後で drying oil, resin oil 使用の後の加筆はその定着を阻害します。注文主はそれゆえ、早めに要望、注文の完結をお願いいたします。肖像も完成の近くでの加筆はこの危険をはらんでいます。 du Louvre

 

 

岡田三郎助  自画像  1899年  49.1×45.5cm

初期ひび割れのようです。大変酷いものです。ある程度仕上がったうえに変更の筆などを加えるとできます。絵の具セットの調合溶油などを使った上に描いてもこのようになるかもしれません。fat over lean が基本です。(これは、 over fat でしょうか)

ルノワール